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三島神社


 
三島神社の御由緒

 我が国では6世紀に、律令国家としての中央集権政治体制が確立し、都から全国各地へ延びる官道(今の国道)等の整備が進み、海上交通もこの時代に急速に発達しました。

 当神社が鎮座したこの地は、この東国の地より都へ至る出発地点であり、これより北の奥州への基点として、物資・情報の集積・中継地であった駅(うまや)に奉斎されていたと考えられ、このことにより、交通・災難除・渡の守り神として、朝廷をはじめ広く崇敬を集めていたことが推測されます。

 特に、当神社の北側に位置する大河「久慈川」を渡ることは、御祭神〔大山祇神・おおやまつみのかみ〕の水上交通の神としての、御神威に深く結びつくものです。

 また、この地を収められた歴代の領主は、社殿や土地等を奉られ、寿永年中(西暦1182年頃)は佐竹公、次いで額田城主額田照光公の祈願所として手厚く護持され、額田照通公には戦勝祈願をされ凱旋の後社殿を修営し、流鏑馬祭をはじめられた。徳川光圀公には御神鏡を奉納される等、その霊験あらたか事を物語たっております。

 現在でも地元はもとより広く多くの崇敬者を集め、御神威益益高く輝き給う御社であります。

三島神社の御祭神

 御祭神は「大山祇神(おおやまつみのかみ)」をおまつりしており、別の名を「渡りの神」を申し上げ、御血統は伊弉諾命(いざなぎのみこと)と伊弉冉命の御子で、[大・おお]はすべての意、[山祇・やまつみ]は山を持ちます神の意味で、山々の精霊を総轄し給う神の意といわれております。

 『古事記』、『日本書紀』には、「大山祇神」に木花之佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)という美しい娘神があって、姉神の石長毘売命(いしながひめのみこと)とともに天孫邇邇藝命(てんそんににぎのみこと)に献た神話は有名です。

 「大山祇神」をまつる代表的な神社には、愛媛県の大山祇神社(おおやまつみじんじゃ・延喜式内社-元国幣大社-伊予の国一宮)があります。

 また、伊予国風土記には、第16代仁徳天皇の御代、百済の国(くだらのくに・今の朝鮮半島の一部)から渡来し、津の国(摂津・現在の大阪府と兵庫県との一部)の御島(みしま・三島)に鎮まったが、後に伊予の国(愛媛県)に移りましたとあり、渡り来ます神とは、百済から無事にお戻りになった意とされています。

 古代においては、旅は困難を極め、命がけであったことから、特に海上交通、旅行安全の神として朝廷をはじめ広く一般に信仰されてきました。
 このことにより人生も旅と考え、世の中を無事に(災難・病気等のないよう)御導き、幸福を授けられる御利益があります。

三島神社 鳥居 三島神社 本殿 三島神社 鳥居 その2

加納廟慰霊施設 加納廟
最大40人収容が可能の慰霊施設、加納廟を併設致しております。
当神社神職奉仕による50日祭をはじめとする、慰霊祭、合祀祭等に
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加納崎霊園加納崎霊園(かのうさきれいえん)
所  在  茨城県那珂市本米崎2768番地1
交  通  常磐高速道路・日立南ICから車で5分
      JR常磐線・東海駅から車で10分
      水戸駅から車で30分

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